社長のつぶやき 第3回

最近では色々な商談、商品を持って弊社を訪ねて来る人が多くなった。

会社設立初期の頃、今から約30年前のことだが、営業で飛び込んだ四国のある神社の宮司の対応が今でも鮮明に思い出される。

公私にわたって私を訪ねて来られる新規の訪問者には、必要に応じてあの時の状況を思い出しながら対応させて頂いている。この状況を再現すれば様々に持ち込まれる商品や商談話に先立って、話の虚実性や危険度判断でフィルターの役を果たせると知ったからである。

まぁあがれ、と言うことで社務所に通され、巫女さんがお茶を持ってこられた。

この時宮司は78歳、私は30歳であった。こちらとしては単なる商品を仕入れ右から左という商品移動の商売ではなく、何かそこの神社の長期戦略に沿った信徒の獲得、或いは布教に有意義な商品開発の御下命を頂きたいと、こちらのアイディアも交えて熱っぽく貧弱な知識を振りかざして語ったはずで、今から考えるとゾッとする意気込みだったと思う。

一通り聞いて頂いたあとの宮司の対応が本日のテーマで、そして宮司のすごさは帰幽された後にも続く。

宮司曰く、君とは今日初めて会ったわけだが、正直言って何処の馬の骨とも分からぬし性格も人柄も分からぬ。もし今日を境に君と付き合うのなら条件がある、と。

緊張し、何事かと耳をそばだてて聞いた。

曰く、人がある人物の本性を知り、信頼を醸成するには最低5年間は必要だ。この間にはお互い様々に好不調を繰り返す生活環境の狭間で、上り坂、下り坂、それにまさかもある。これらの対処法でその人間の本性や教養も知ることができる。

ところが、自分がこれから5年間を費やして君を知るには余命からしてその年月は勿体ないし、その気にはなれない。だが、もしここでお互い既に5年間の交流を経由した間柄として、善人であったとして、誠で相手を思い、誠実を基盤に信頼し合うと君も誓うのなら交友を始めよう、これが条件だ。というのが、若輩の私に言われた言葉だった。

今では私も年金を貰える年になり、商談で私を訪ねてこられる方々にはこの5年間の無駄を省く心境を語り、相手の反応を見定めてから事を始めることにしている。

更にこの宮司の凄いところは、その後それなりの商売を頂きながら7年目へとの交友が続き、その年は通常商売のほかに超高名な芸術家の作品を介在とした事業を行った特別な年度だったが、残念ながらこの年、事業の完結を見た直後に、たまたまのタイミングで弊社に600万円の売り掛けを残され突如御歳85歳で帰幽された。

亡くなられれば当然個人の遺産問題やお宮関係の財務整理等々で周辺の方々の慌ただしき中、入金は何時になるかも定かではなく、かといってこのさなかにご遺族の方にも言いそびれ、いつ話そう、いつ話そうかと悶々と悩んでいた。

半月を過ぎた頃、突然弁護士と名乗る方から電話が入った。何事かと思えば、宮司の遺言書の第一項に、如何なる事情にも先立ち弊社には速やかに支払いをすべし、と金額も明記されているが、その金額に間違いはないか、との問い合わせであった。

思うに御遺言は多分ご高齢柄突然の事態もご考慮されて内金を支払われた直後に書き改められた物に違いなく、出会いのいきさつに照らし、宮司の稟とした見事な終結に私は魂を揺さぶられる感動を覚えたものだった。