社長のつぶやき 第7回

出鼻品無いお目汚しで失礼します。

若い若いと言われその気になって十歳もさばを読んでいたが、あるとき干支はと問われ計算に戸惑って以来、十二歳もさばを読み歩き回っていたときもあった。が、寄る年波は隠せず人並みに順序よく定番の病状、歯・目・…と巡り、三年前には五時間に及ぶ手術を受けるはめとなった。

聞くところによると人間の各器官の「賞味期限」は五十年で、車に例えるなら部品交換、修理補強、頻繁な潤滑油注入、安全運転、昨今では時として板金塗装(整形)もあるとか。

不謹慎な話ですが、更に医者との出会いも寿命の内とつくづく覚った次第でした。

約十五時間あまりの麻酔から目覚めた居場所は、ウンウン唸る喚くの自分も含めた二十~三十人程の大部屋、見たことはないが「これぞ野戦病院さながら」と想像出来る現場だった。当時の野戦病院での手術は麻酔薬も不自由な、否、無いところでの手術だったと思えば、自分などは本当に恵まれた時代に巡り合わせたと幸せをかみ締めた。

術後しばらくが経ち看護師達とも冗談を交わせる頃ともなれば、徒然の間にあれこれを考えることになる。

いの一番によぎったことは、今日の医療保険制度で現在の医術を亡き父母に施したかったという思い。関連して、特に高齢者が甘受している今日の医療保険制度も年金も、源を辿れば先の戦争で国家・父母・愛しい人の為に戦って散った人たちの犠牲の下にあり、特攻の若者達には切なく言葉もない。加えて言えば年金も時代の趨勢での減額、感謝を忘れ声高に不満を叫ぶ一部高齢者や一部団体の存在に心が疼く。

本原稿校正をさる若いお坊さんに願ったところ、即座に「その年金制度を維持するために、自分がもらえるかもらえないか定かでない中、ただでさえ不足がちの中から納める若者達への配慮が欠けている」と指摘され、思わずハッと絶句、ややもすれば薬と医術に生かされていると思いがちな昨今だが、人は人に、そして自然界で生かされ、支えられていたことを改めて思い知らされた一瞬だった。現在の若者達に眉をひそめる事もあるが、かつて来た道、やがて行く道の順で尊敬し合えないものかとつくづく思った。

今一つ、病床の中にありながらも生かされている、生きていると言う事は、人は誰でも死ぬまでは「大難は小難に、小難は無難に」生きてこられたと言うことに尽きるのではないかと。

本ホームページにある「大難は小難に、小難は無難に」守りもその中での実感で、ある時、ある時期、ある事の折々で、改めて思い起こし人生祈念の日の御守りとしてお目通し頂ければ幸甚です。

此く申す私、今はもう後遺症がないと言えば嘘になりますが、先日もこの「大難は小難に、小難は無難に」の現実で、往復三千キロ、十日間の出張をこなしてきました。